17周年記念「でめた91」
ニューオリンズからの特別ゲスト、アル・ブラサード(1991年)

 この年の初めに、ニューオリンズに遊びにいった次郎吉の女性客が、おみや
げに1本のカセット・テープを持ってきてくれた。バーボン・ストリートの小
さなクラブでピアノの弾き語りをしている黒人ミュージシャンのテープだとい
うので、さっそく店で聞いてみた。軽快なブギウギ・ピアノが流れ出すと、店
の中がニューオリンズっぽい雰囲気に染まっていく。南部なまりの甘い声で歌
うバラードは泥臭いけれど暖かくて、次郎吉の雰囲気にはぴったりだった。そ
の黒人ミュージシャンの名前はアルじいさん。御歳85。サッチモ(ルイ・アー
ムストロング)とやったこともあるらしい。カセットの写真には、口ひげをは
やした黒人が粋な赤いソフト帽をかぶって微笑んでいる顔のアップが写ってい
たが、どう見ても85には見えない。この年でこれだけ元気にピアノを弾いてい
れば、日本なら人間国宝になれるはずだ。
 アルじいさんは、ニューオリンズのバーボン・ストリートにある「セブン・
イレブン」というバーで夜の9時から夜中の2時まで弾き語りをしているとい
う。ピアノを始めたのは6歳の頃だというから80年もピアノを弾き続けている
ことになる。若い頃はビッグバンドで働いていたが、一人頭のギャラが少ない
ので、40年前からセブン・イレブンで弾き語りをするようになったそうだ。ピ
アノ、歌に加えて、口でトランペットの音を出す、ヒューマン・トランペット
という必殺芸も持っている。ニューオリンズ生まれで、アメリカからまだ一度
も出たことがないという。
 前から自分で外国のミュージシャンを発掘して日本で紹介してみたいと思っ
てはいたが、ギャラや契約の問題であまり有名なミュージシャンは呼べないし、
全くの無名では宣伝のしようもない。でもニューオリンズ・ブームもあって、
この生粋のニューオリンズっ子のアルじいさんならなんとか話題になりそうだ。
ニューオリンズの歓楽街で70年近く鍛えた、力強い、でも暖かみのあるピアノ、
鼻にかかった甘い声の小粋なボーカルは絶対に期待を裏切らないはずだ。よし、
決まりだ。思い立ったが吉日、次郎吉の最初のスタッフだったチュチュを通 じ
て交渉すると、意外に簡単にオーケーの返事がきた。
 こうして、アル・ブラサードは、この年の秋に多摩テックで開かれた「でめ
た91・ミュージック・フォア・チルドレン」のメインゲストとして出演するこ
とが決まり、85才になって初めて海外ツアーを経験することになった。


コンサートはどしゃぶり

 この年は週末になると雨が降るというパターンが夏からずっと続いていた。
「でめた91」の当日も、朝から激しい雨がふり続き、雨足は午後になってもい
っこうに衰えなかった。それでも多摩テックの開園と同時に数十人の熱心な客
が入ってきた。せっかく「ミュージック・フォア・チルドレン」というタイト
ルを付けたのに、この寒さと雨では、子供たちは今回のコンサート会場の大プ
ールを取り囲む丘の斜面を走り回ることもできない。
 コンサートは予定通りにはじめるしかなかった。雨は容赦なくふり続けてい
たが、数百人の客が寒さに負けじと踊りだした。プールサイドに作られたステ
ージの上には白いテントが張られているのでまだましだが、客席は水を抜いた
プールの底なので、踊っているうちに濡れたコンクリートの床に足を取られて
転ぶ人が続出していた。
 トリのアルじいさんが登場する頃にはあたりはすっかり暗くなり、おまけに
雨と風は強くなる一方だった。お目当てのミュージシャンやバンドを見終わる
と帰ってしまう客も多く、嵐の中で最後までプールの底に残って踊っていたの
は200人くらいだった。いつもより多めのウィスキーを飲んでいたアルじい
さんは上機嫌で、まずは力強いブギウギ・ナンバーと明るい笑顔で寒さを吹き
飛ばしてくれた。
 甘くハスキーな声でバラードを披露した後は、必殺技、ヒューマン・トラン
ペットで盛り上げる。「いいぞ、じいさん!」 客席、ステージの袖からも声
がかかった。
 「でめた91」は、アルじいさんの「ジョージア・オン・マイ・マインド」で
取りあえず幕を下ろし、濡れねずみの客とミュージシャンたちが引きあげてい
った後、スタッフを待っていたのはステージ、照明、音響機材の片づけだった。
雨の夜の遊園地は暗くてだだっ広い不気味な場所だ。谷底のプールサイドのス
テージからトラックの待っている丘の上まで機材を上げるには、人間がかつい
で運ぶしかなかった。
 降りしきる雨の中、スタッフはステージをバラし、重い機材をかかえて、黙々
と暗い丘の上に続く階段をのぼった。機材の搬出が終わった時には夜中の12時
をまわっていた。

アルじいさんとのツアー

 雨さえ降らなければなあ…いくら悔しがっても後の祭りだ。「でめた91」は採
算的には大赤字だったが、落ち込んでいる暇もなくアルじいさんとのツアーが始
まる。売れ残った記念Tシャツを手みやげに旅に出た。最初の公演地、京都の老
舗ライブハウス「磔磔」に着くと、ひょうきんな丸めがねをかけた水島さんがい
つものポーカーフェースで暖かく迎えてくれた。この店では外タレが出演する時
は、いつも手製の素晴らしい垂れ幕や看板でステージを飾っている。この日、用
意されていた似顔絵入りの立派な看板を見てアルじいさんも大喜びしていた。
 共演のボ・ガンボスのkyonと簡単なリハーサルをやってはみたが、アルは
気の向くまま好き勝手に弾くので、リハにはならなかった。店はkyonのファ
ンでいっぱいだった。まずkyonが登場し、長髪を振り乱しての熱演で女性フ
ァンをわかせた後に、アルをステージに呼び出した。
 黒のスーツに黒の革靴、粋な羽根飾りのついたトレードマークのソフト帽をか
ぶって、笑顔をふりまきながら登場したアルは、まずは軽快なブギでご機嫌をう
かがう。客席の雰囲気が盛りあがってきたところで、甘い声で「I'm Confessin
g That I Love You」と歌って女心をくすぐる。85歳といっても侮れない。ハス
キーな甘い声以上に危険なのはアルじいさんの流し目だ。体型も小柄でぽっちゃ
りとしていて可愛らしく、ニューオリンズでももてまくっているという。当時ま
だ現役で80の時にできた4歳の娘がいる。最後にkyonが再登場して二人のジ
ャムセッションになったが、案の定、アルは若い奴に負けてたまるかとばかりに
弾きまくり、kyonに入り込むすきを与えない。40年も弾き語りを続けている
うちに、合わせるという気持ちが薄くなっているのかも知れない。
 ライブの後、ファンになった数人の若い女性が楽屋を訪ねてくると、アルは百
万ドルの笑顔で迎え入れ、70年をこえる豊富な経験を感じさせる巧みな話術でさ
っそく口説きはじめた。この85歳は侮れない。
 大阪アム・ホールでのライブはアル一人の弾き語りだった。客の入りを心配し
たホールのマネージャーの津田さんは自分でチケットを買って入ってくれたとい
う。ありがとうございます。
 東京周辺での数回のライブも大成功に終わり、どこの会場でもアルの虜になっ
た女性たちが楽屋に押しかけてきた。絶対にニューオリンズに会いに行くわと本
気で約束した女性が何人もいた。ニューオリンズでアルに会ったことのある女性
まで現れて、ライブの後の楽屋はいつも華やかな雰囲気に包まれていた。
 ツアーの最後は、10月15、16、17日、次郎吉での3日間のライブだ。初日は
kyonを中心に組んだセッション・バンドとの共演だったが、アルの間の取り
方、リズムのはずし方をおぼえてきたkyonが、他のメンバーをうまくまとめ
て、アルの演奏に合わせていた。アルもビッグバンド時代の感覚が戻ってきたの
か、プレイにもバンドと綱引きをしているような迫力と緊張感が出てきた。
 ライブ後、kyonがアルじいさんとのセッションに関する「傾向と対策」を
書いたメモを、残り2日間のメンバーたちのために残していってくれた。このメ
モのおかげもあって、2日目のドクトル梅津と吾妻光良、3日目の塩次伸二、妹
尾隆一郎とのセッションはスムースにいった。
 「セントルイス・ブルース」をやっている時に、乗ってきた吾妻がアルと一緒
に歌い出した。アルはしばらく吾妻に花を持たせ歌わせていたが、それも一瞬だ
けですぐに大声を張り上げて主役の座を奪い返してしまった。これには客も吾妻
も大笑い。後でアルに話してみると、「あいつが歌詞を間違えたからさ」と涼し
い顔だった。
 毎日、銭湯やサウナで背中をこすり、寿司、天ぷら、焼肉を食べさせた甲斐あ
って、アルじいさんの肌はピカピカになり、ますます若く見えるようになってき
た。2週間付きっきりで世話をしているうちに情も移ってくる。顔つきまで似て
きたらしく、黒人の親子と勘違いされたこともあった。あれやこれやで、にわか
息子は結局アルじいさんと一緒にニューオリンズ行きの飛行機に乗ることになっ
た。ニューオリンズでは偶然、雑誌の取材で来ていた忌野清志郎に出会ったので
、さっそく「セブン・イレブン」に連れていってアルに紹介した。意気投合した
二人はすぐにジャムセッションをはじめたが、さすがは清志郎、地元の客にも大
受けだった。

ニューオリンズセッション (1992年)

 前の年に始まったニューオリンズ・ブームが続き、kyonと古澤良治郎
を中心に2ヵ月に1度、ニューオリンズ・セッションを組んでいた。kyo
nの人気のお陰もあって、このセッションは毎回大好評。お客の数が100
人を越すということもあった。その日、ライブ終了後に楽屋で、バンマスの
kyonが古澤さんにギャラを渡した。その額5万円。チャージバック方式
の ジロキチでは動員数がそのままギャラにはねかえる。5万円というのは普
段の古澤さんのライブでは考えられない金額だ。古澤さんはギャラを受け取
ってから少し考え、メンバー全員に1万円ずつ配り始めた。kyonは慌て
て、「それ古澤さんのですから」。といって古澤さんの手を押しとどめた。
古澤さんはもらったギャラをメンバー全員の分と勘違いしたのだった。古澤
さんはその日上機嫌で遅くまでジロキチで飲んだということだ。月1度、土
曜日の深夜には、渋谷毅ミッドナイト・ライブという大人向けのライブが始
まったのもこの年だ。渋谷さんのピアノに合わせて、金子マリ、小川美潮、
木村充揮ら実力派のヴォーカリストがじっくりと歌を聞かせてくれた。
 経営が苦しかった3月には、近藤房之助が10日間の連続ライブをやってくれ
て本当に助かった。ありがとう、房さん。房之助は、この前の年に、B・B・
クイーンズのヴォーカルとして歌った、人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の主
題歌、「踊るポンポコリン」が大ヒットし、突然、有名人の仲間入りを果たし
ていた。大晦日にはレコード大賞、紅白歌合戦、次郎吉をかけ持ちする売れっ
子ぶりだった。テレビの歌番組の生放送中に次郎吉でのライブを中継したいと
いう話がきたので、常連を集めて楽しみにしていたが、店内がテレビに映った
のは、「現在、近藤房之助さんは、高円寺のライブハウス、次郎吉でライブの
真っ最中です。近藤さん!」という女性アナの紹介の後のほんの数秒だけで、
その後、放映されたのは前もって録画されていたライブ・シーンだった。


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