関西ブルース・パワー炸裂(イエロー・ブルースの誕生)
開店当時はミュージシャンの数も少なく、ライブは週末だけで、平日はパブ
として営業していたのだが、客足はさっぱりだった。というのも、アングラ風
の入口のドアを開けると、地下に向かって両側にアングラ劇団やコンサートの
ポスター、チラシが貼られた薄暗い階段が続いているので、普通の人間、特に
若い女の子はまず敬遠して入ってこないのだ。そのうちに高円寺、阿佐ヶ谷周
辺に住んでいる若い漫画家集団とヒッピー連中のたまり場になり、一般客はま
すます入りにくくなってしまった。打開策として昼にランチを出してみたが、
いつもの顔ぶれが昼間からたむろするようになっただけだった。
そんな時、希望の光になってくれたのが、京都の若者を中心に関西で起きた
ブルース・ブームだった。
京都ではウェストロード・ブルースバンド、ブルースハウスが2大人気ブル
ースバンドとして活躍。大阪では憂歌団が活動しはじめていた。
ジャズ喫茶以外なかった東京にも、下北沢の「ゼム」、高円寺の「シットバッ
ク」、西荻「ロフト」、新宿の「セラヴィ」など、ブルースが聞ける店が出来は
じめ、音楽関係者もブルースに注目しはじめていた。
最初に「次郎吉」に登場した関西のブルースのバンドは、ウェストロードを
離れた山岸潤史のセッショングループだった。
メンバーは山岸(ギター)、砂川(パーカション)、チュウ(ベース)、ベー
カー(ドラムス)、北京一(ヴォーカル)、国府(キーボード)だった。
この山岸のグループが発展して出来たのが、日本人ブルース・ソウルバンド
として初めてアメリカ・レコーディングの快挙を果たしたソーバッド・レビュ
ーだ。