ナベサダとジャズ

 渡辺貞夫さんとの出会いは次郎吉開店前にさかのぼる。一時期芸能関係の仕
事をしていた姉が貞夫さんと間接的な知り合いで、ライブハウスをやるのなら
一度挨拶に行きなさいとアポイントをとってくれたのだ。貞夫さんは、「ライ
ブハウスなら、グランドピアノが絶対に必要だよ」とアドバイスしてくれたの
で、オープンに間に合うように、当時はなかなか手に入らなかったグランドピ
アノをローンで買うことになった。
 そんなことで次郎吉に興味を持ってくれたのだろう。開店後まもなく貞夫さ
んから出演オーケーの連絡が入った時は大喜びしたが、当時の貞夫さんのライ
ブは今のような軽めのサウンドではなく、4ビート、8ビートのジャズで、月
一度のライブも20〜30人程度の入りが続いた。貞夫さんの音楽が急激に変わり
はじめたのは76年、FM東京が次郎吉で公開ライブをした頃からだ。
 公開録音ということで、店はほぼ満員、友人知人常連も押しかけ、和気あい
あいとした雰囲気の中で、貞夫さんもいつになくリラックスしていた。ステー
ジの前半はジャズで、客席も静かに聞き入っていたのが、中盤の「黒いオルフ
ェ」から始まったサンバ・メドレーで一気に火がついた。情熱的なサンバのリ
ズムとビートに乗ったナベサダの心地よいアルトサックスのソロに酔った客は、
いつのまにか全員総立ちで踊りだしていた。スタッフはあわてて椅子を片づけ、
客席はダンスフロアに一変、リオのカーニバルの縮小版のような光景が繰り広
げられることになった。アンコール、アンコールの拍手と歓声は鳴りやまず、
締めにアフリカ民謡「マライカ」をスワヒリ語で全員で大合唱、やっと幕を閉
じることになった。このライブを契機にナベサダ・ブームが巻き起こり、貞夫
さんはこの年に芸術祭大賞を受賞している。その後しばらく貞夫さんは頻繁に
次郎吉に足を運び、若手のブルース・ソウル系ミュージシャン、特にCちゃん
・ブラザースとのセッションを通じて新しいサウンドをつくりあげていった。
いわゆるフュージョン系のポップ・ジャズ・サウンドである。資生堂の専属モ
デルとしてテレビのコマーシャルにもたびたび登場、瞬く間にビッグになった。


レギュラー・スタッフの確立( ワオ&チビタ)

 現在もスタッフで最長老のワオ(桑原和夫)を次郎吉に連れてきたのは、ス
ケジュール表のイラストを描いていたデンさんだ。ミキサーの学校を卒業した
ばかりだというので、ミキサー候補生として、大通りを隔てて向かい側にある
喫茶店(フレンド)でさっそく面接してみた。当時19歳のワオは長髪を肩まで
垂らし長谷川きよしにそっくりだったのをおぼえている。この時はこっちも昼
間から夜中まで働きづめで、風呂にも1週間に一度しか入れない状態だった頃
で、冷たいおしぼりで顔と首を拭くと真っ黒に染まったのを見てワオは仰天し
ていたものだ。ミキサーとして雇われたワオはそれから四半世紀以上、次郎吉
とともに過ごすことになった。初めはくそ真面目でミキサーの仕事が終わると
さっさと帰ってしまうので、桑原さんと呼ばれていたが、1年後の自分の誕生
日の夜にへべれけに酔っぱらい「今日からワオって呼んでね。ワーオッ!」
叫んで、以来このあだ名が定着している。
 次郎吉で一時代を築いた伝説の女性、チビタが登場したのもこの頃だ。ある
歌謡曲の歌手のマネージャーをやっていたというチビタは、ギャラをくれない
熱海のヤクザのところに押しかけて直談判、もらえるまでは帰れませんと居直
って見事に全額取ってきたという男まさりな逸話の持ち主で、愛称通りに身体
は小さいが、声のでかさと度胸とバイタリティで次郎吉一家をしきっていた。
 ライブ中は腰を振り手拍子を叩きながら、奇声をあげてミュージシャンを盛
り上げてくれる。ライブが終われば一人一人の客に声をかけて、店に残って一
緒に飲みましょうよと誘う。帰っていく客には「また来てくださいね」の一言
も忘れない。気さくで、あけっぴろげで、いつも明るく元気なチビタはあっと
いう間に人気者になり、彼女を慕って店の常連になる客も多かった。特に若い
女性客たちには、ひと回り年上のチビタは絶大な信頼を得ていた。
 何よりも嬉しかったのは、チビタに声をかけられた有名な女優やモデルが遊
びに来るようになり美人の常連客が増え、店内が華やいだ雰囲気になってきた
ことだ。
「次郎吉に初めて来たのはネイティブ・サンのライブの時なの。ライブの後、
チビタさんに誘われてミュージシャンと一緒に朝まで飲むことになって。洗礼
を受けたって感じかしら。楽しくって、楽しくって、それからやみつきになっ
ちゃったのよ。あの時チビタが声をかけてくれなかったら、もうこの店に来る
ことはなかったと思うわね」今でも時々、遊びにきてくれる女性客の一人はそ
ういう。
 ライブとは関係なく、チビタに恋や人生の悩みごとの相談に店にやってくる
女性客も多く、「高円寺の母」とさえ呼ばれるようになった。


奇人、変人、名物客

 女性客の増加と同時に増えていったのが、奇人、変人の類だ。中でもハンチ
ングをかぶり、風呂敷包みをかかえてやって来るオカマのおじさんは傑作だっ
た。「トイレ借りるわね」と言い残してトイレに消えたおじさんは20分ほどす
ると、スカートをはき、カツラをかぶって再登場する。気合いの入っている時
は、付けまつげまでしてくる。そして、シナをつくりながらステージに立つと、
(ライブのない時に店が閑散とした雰囲気に見えないように吊ってあった)蚊
帳の中にもぐり込んで踊りはじめる。年は50代という話だった。
 他にもスタッフの間で、三大おばさんと呼ばれている名物客がいた。まずは
サンバ関係のバンド、特にサンバ・カリオカのライブには必ず顔を見せ、ライ
ブ中ずっとサンバを踊っているサンバおばさん。そしてコスモス・ファクトリ
ーで必ずギターのまん前に座り、一曲終わるごとに立ち上がって拍手するプロ
グレ・ロックおばさん、そして、ジャズのライブにはどこからでも必ずやって
来たジャズおばさん。三人とも50歳前後だったから、今では80歳位のおばあ
ちゃんになっているはずだが…。
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