3章 80年代に突入
第二回次郎吉・泥棒公演
関根サーカス・テント・ライブ (1980年4月18日)

 関根サーカスの支配人から、京王線、聖蹟桜ヶ丘の駅前での公演中にテント・
ライブをやらないかという話が持ち上がった。土の匂いがするテントの中は、
少年時代の郷愁が蘇ってくる不思議な空間で、天井が高く、音の反響も少ない。
客席は板張りベンチで1500人の収容力があるという。コンサート会場とし
ても最適。そう考えるといても立ってもいられない。すぐに、憂歌団と、ネイ
ティヴ・サンに連絡を取り、出演オーケーの返事をもらった。が、問題はそれ
がコンサート予定日の1ヵ月前だったことだ。当たり前だが、1ヵ月前では月
間の情報誌に掲載することは不可能。ポスターを作る時間すらなく、ピエロの
顔をアップにした関根サーカスのポスターを譲り受け、その隅に「次郎吉・泥
棒公演Vol.2」、出演者、日時、場所を印刷したステッカーを貼って使うことに
した。なんとかチラシだけは印刷し、スタッフ、関係者を総動員して、聖蹟桜
ヶ丘の駅前や、付近の学校、商店街でまいた。
 公演当日、さすがに宣伝不足が響いて、売れた前売り券は600枚足らず。
おまけに公演日の10日前から降り続いていた雨が止んだのは前日の明け方、
テントのまわりには大きな水たまりがいくつもできていた。これでは当日券の
売れ行きも期待できない。人気バンドの憂歌団、ネイティヴ・サンをがらがら
のテントで演奏させることになっては申し訳ない。開演時間が近くになって、
スタッフを近くの高校に行かせ、学校帰りの学生たちに無料でチケットを配り、
テントまで誘導するという非常手段に出た。最寄の八王子駅でも、最後の呼び
込みと無料チケット配りをした。最終的に、ただ券組の数は約200人。不公
平にならぬように、一般客が入場した後に入ってもらった。
 午後6時、司会役のフランス人、ジャン・フレッドがサーカスの象の背に乗
ろうとすると、象が突然「パオーッ!」と、場内に響き渡る大きな雄叫びをあ
げた。驚いたジャンは象に乗るのを諦め、象と一緒に歩いてステージに登場。
コンサートの開会を宣言し、フランス語訛りで「ユーカダン!」と叫ぶと、ス
テージ後方の垂れ幕から憂歌団のメンバーが飛び出してきた。憂歌団の演奏の
クライマックスには、頭上高く張られたロープ上をピエロが自転車をこぎなが
ら往復して紙吹雪を振りまいた。無数の紙吹雪が七色の虹の星くずのようにキ
ラキラと光りながらゆっくりと舞い落ちていく光景は、憂歌団のメンバーまで
思わず上空を見上げて見とれていたほど幻想的だった。この紙吹雪は、数時間
前から開場を待っていたファン数人がサーカスのスタッフと一緒に切ってくれ
たものだという。憂歌団に、本田さんと峰さんが加わり、木村が歌った「ジョ
ージア・オン・マイ・マインド」は忘れられない。
 当初の予想通り、採算的にはまたまた大赤字となり、土方のバイトで穴埋め
をするといういつものパターンにはまってしまった。

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